LONDON02



ロンドンシティホール(ノーマン・フォスター)


テートモダン(ヘルツォーク)
ヘルシンキに着きました。現時点の情報は、ユースホステルに泊まっているけれども、日本人などおらず、ひらすら外国人と話されたり話したりしている日々です。
よく旅先からブログを更新している方がいますが、すごいな、と思います。僕には無理そうです。いつ現在に追いつくのだろうか。
しかしロンドンはつくづく思い出深い地となりました。落ち着くまでロンドンネタで引っ張ろうと思っています。

LONDON01



ロンドンに来ています。また旅行記のような形でHTMLにしてアップしようと思います。予定は未定。
ロンドンは平穏無事。都市は東京の建物を低くして洗練させた印象。
上は大英博物館の写真。トップライトがきれいでした。
下は昔バイトで同じで、今お世話になっているWさんビガップと今修論で忙しいYくんとパブに行った写真です。ロンドンのビールは少々ぬるい気がしますが非常に安くておいしく、かっこいいお店で楽しい時間を過ごしました。僕は相変わらず訳の分からないことをいっているようです(くるり「東京」)笑。
ところでスカイプを早速家族などと使ったりしています。日本で実験していたのとあまり変わらないのですが、やはりこれはすごいな、と思います。Skype名は想像の通りだと思うので、見ている方は是非コンタクトに追加してやって下さい。

Big up!!!


最近はずっと更新出来ませんでした。見てくれていた方々には申し訳ありません。
その間、送別会やら飲み会やらでいろいろな方々とお会いしました。本当に言葉にならぬ程、感謝の念が絶えないのですが、簡単に感謝の気持ちを記しておきたいと思います。
SFCの方々、芸術学校の方々、森ビルの方々、バイトでお世話になった事務所の社員の皆様、小関(辻)君、関口君、本当にどうもありがとうございました!
また両親はもちろん、個別的に会ったり声を掛けたりしてくれた理解ある数名の友人や、大事な人の支えは本当に心強いものでした。多謝!
是非是非、北欧を訪れた際は声を掛けて下さればと思います。
写真は中学校時代からの旧友と共に訪れた神宮球場。照明の光が眩しくてとても気持ちのよい夜でした。

留学03|部屋

DBFile-4.jpg
DBFile.jpeg
DBFile-1.jpeg
ヘルシンキで住む部屋が決まりました。
ここの所ずっと留学体験期が書けませんでした。瑣末なトラブルを多数乗り越えてもうすぐ出発、というところまで来ているんですが、部屋が決まっていなかったのです。よく、「ヘルシンキに遊びにいくから泊めてね!」と声をかけて頂くのですが、その時に「え、あ、う、う、うん、いい、かもしれないよ」と口ごもってしまっていたのは、このままずっと決まらずにホステル暮らしをする恐れも拭えなかったため。
ヘルシンキに留学する学生のためのアパートの斡旋機関としては主にHOASという機関があります。そしてヘルシンキ工科大学の学生にはさらに寮的なものとしてTKYという機関があります。僕はどちらの機関にもあまりにも分かり辛いapplicationをようやく提出し、さらには、「applicationを出したんだけど大丈夫?そして部屋はいつ決まるの?」というメールまで出しました。両方とも、「ヘルシンキ、ましてやespoo(学校の所在地)の住宅事情は厳しいし、全員に部屋が割り振られるわけじゃないんだよねー、だからいつ分かるかは言えないよ」という日本では考えにくい返答をもらっていました。ようやく今日、offerをもらえました。日本円にして2万円ほどの部屋。シェアで広さは11平米と決して広くはありませんが、学校の中で毎日アールト設計の校舎を見ながら眠れるとは幸せだと思います。
ところで「生活への想像力」という言葉がなかなか気に入っています。アップしたのは、住む予定の部屋。記号などがいまいち読めない。入って中心にいきなり独立型のキッチンらしきものが据えられているのも不思議だし、部屋の右手に書いてある壁に据え付けられた棚らしき記号も謎。実際に何があるのか見るのが楽しみです。そして周辺の事情については何も知らされていません。日本だとコンビニ何分とかあると思うのだけど、一体どんな場所なのかがさっぱり分からない。スーパーの一つでもあったらいいのですが。
とにかく。それでもいいという方、是非遊びに来て下さい(ようやく胸をはって言える)。ただ一つだけ、中心部からはほど遠いことだけは確かです。

トリエンナーレ




越後妻有アートトリエンナーレ2006のオープニングに行ってきました。かなりいろいろな作品を見る事が出来、とても沢山の写真を撮ってよく撮れているのも多いのですが、プライベートなものではなかったので、ここであまりアップできないのが残念。せめて棚田の風景と、MVRDVの「農舞台」と、ある作家の作品(いずれもあまりよく撮れていない)だけアップします。今回は廃校などのリノベーションやコンバージョン、また古民家を使ってアートを展示したりするものが多くて、民家再生か、、、とかちょっと思ったりしましたが(苦笑)、いろんな切り口のものがあって素直に面白かったです。
印象的だったのは、クリスチャン・ボルタンスキーの作品、日芸の彫刻科の人たちの民家の柱や梁を彫刻刀で削るもの(!)、フィンランド人の作家が作った吊り橋の横にTシャツを吊った作品(写真)でした。あとはやっぱり「農舞台」がとてもかっこよかったのと、この辺り特有の「棚田」が素敵だったことでしょうか。そういえばキョロロには行けず残念。
ところで、パーティー会場では、ある建築家の方にフィンランドに留学する事を話していたら、写真の作品を制作したフィンランド人のアーティストを紹介して下さいました。どこの大学に行くの、なんて話を英語でしていましたが、会話は続かず気まずくなったので、とっさにフィンランド語で自己紹介を少ししてみました。大使館の人とかを除けばほぼ初めて直接話すフィンランド人。それがトリエンナーレに出品するようなアーティストだったのが不思議な感じでした。やや難しくなってついていけなくなったころ、「食券で何か食べる物を買いにいくわ」となったので、Kiitos! moi moi!(どうもありがとう、またね!)と言って名刺だけ交換してお別れしました。いずれにしろ語学の鍛錬が急務だなあ。

ジョギング


最近はよく深夜にジョギングをします。
ちなみにjog[狭い歩幅で比較的ゆっくりと走ること(アルク:英辞郎)]。今の心境に近い。「比較的」というところあたりが。
目的は健康維持とダイエット(苦笑)。おかげで大分やせました。
走るといろんな事を考えられてよいです。
10代の頃には嫌いで嫌いでしょうがなかった近所も大分変わってきました。特に変わったのは、商業施設や工場、倉庫などが次々と住宅に変わっていく事。僕が住んでいる近くにはコンビニが三件あったのが最近では一件になってしまいました。
都市に関して。
いろいろ考えたみてもやはり東京はとても好きだし、ファンタスティックで面白いと思う。美観についてはやはり絶望的かもしれないけど、それも含めて人がワサワサ蠢いている感じや、赤ちょうちんの飲屋街、深夜のロジスティックスだけが生き残った感じとかとても魅力的だと思う。
郊外も郊外で結構好きで、というのも自分が住んでいるところが静かで治安もいいし、休日はずっと家にいてもインターネットで買い物も出来る。そりゃあコンビニだっていらなくなる。
地方都市はどうだろう。他人事のようだが寂れた商店街や、廃墟寸前の村落は哀愁があって好きだし、一方でその開発には物悲しさはあってもしょうがないことだと思う。
大事なのは、既にあるもの、自分がいる環境に対してどう振る舞うか、使う環境に対してどう使うかで、能動的な姿勢でいることなんだろうな。
ヘルシンキに行ったらそこらへんを押さえたいと思う。建築や都市の使い方や考え方、生活の仕方、余暇の使い方、お金の使い方、学校や労働のあり方、隣人との付き合い方や宗教との接し方、いい人、悪い人、僕って何。退屈さや窮屈さ、居心地の悪さをケムに巻いたら。設計製図をもう一度やりにいくわけではないからね。
写真はジョギングコース(冬)。

七年目の邂逅



大学時代のドイツ語の同期の友人であるコピーライターS氏ともうすぐ編集者?N氏と神楽坂のブラッセルズにて痛飲。ベルギービールを初めて飲む。その後記憶を飛ばし撃沈。
氏たちとはドイツ語の同期で知り合ってもう七年。とはいったものの、ずっとあまり言葉も交わさないような仲でしたが、大学四年の時にふとした機会にとある定食屋でホッピーを飲み交わしたのを機会にして以来いろんな場面でお会いしたりしています。
事情はそれぞれだけど、活躍っぷりにすごいなあと心から思えるし、決して腐らず穏やかで、そんな人たちと話していると話すとワッと視野が広がるような運気がアップしている手応えがあってとても心地よさを感じます。何とぞこれからもよろしくとな。
※写真は以前にいった篠原一男の作品。
先日81歳にして亡くなられたとのことでした。作品はもちろん生き方や思想もとても好きな建築家で建築をはじめるときにもすごく感化されたのを覚えています。ご冥福をお祈りします。

カウリスマキ


最近は暇を見てアキ・カウリスマキの映画を見直したり、新たに見たりしています。
*マッチ工場の少女(Tulttikkutehtaan tytto)/1990/フィンランド/97分
*レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ/1989/フィンランド・スウェーデン/78分
*レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う/1994/フィンランド/95分
*浮き雲(Kauas pilvet karkaavat)/1996/フィンランド/96分
カウリスマキの映画は、セリフが少ない、登場人物が無表情、尺が短いなどが特徴的だと思いますが、特に「ニヒル」なストーリー展開も独特でとても心地よいです。とにかく淡々と進むんだけどドラマチックで深くしみいる。そんなカウリスマキの映画をみていると、ふと日本映画、特にタケシ映画と似ているな、と思うことがあります。既に書いた特徴の他にも、ふとしたカット、例えば暴力シーン(そんなに激しいものではないけれど)では登場人物がさっとフレームアウトして音だけ聞こえて血まみれの人が出て来たりするところや、ナンセンスなギャグ、心ない優しさ、不条理な人間性なんかを見ていると、似ているなあと思ったりします。
また、音楽もとても独特でフィンランド独特の歌謡曲からロックンロールまで幅広く効果的に使われています。「過去のない男」では、日本の歌謡曲としてクレイジーケンバンドの楽曲が使われているのが有名ですが、とにかくいろいろな音楽が楽器隊の演奏からラジオの音、ジュークボックスから流れる音、いわゆる映画サウンドとは異なる形で現れてくるのがとても印象的です。ここばかりは近年のタケシ映画のように、音楽が作品の情緒やアイロニーまで強奪して一つの感情に向かわせようとするようなモノ(とても悪趣味な!)では決してなく、そこにいる個々人の感情であったり、あるいはそれと裏腹な旋律であったり、場を成立させるために必要十分なものとしてそこに流れているように感じます。
淡々とした「ニヒル」な物語や映像と音楽、それが静かに心に定着していく感じがとても好きだし、この「ニヒル」さをキャッチできる国民が沢山いる国だと、気が合いそうだなあなんて夢想して止みません。
写真は先日のIKEAの出口。おしゃれだと思った。

すごいぞいけあ




今日は久々に在宅作業で夕方頃には目処がたったので、海外用の補助的な口座をつくろうと新生銀行で口座を開設しに家から一番近いららぽーとまでいってきました。ららぽーとといえば南船橋で、ついでにIKEAにもよってきました。実をいうと、最寄り駅ではないにしろ、私が住んでいるところから一駅でいけたりするんですが、IKEAがオープンして以来、ずっと行こうと思っていたものの休日はこみそうだし平日には行けないし、行く機会を逸してきました。
安いおしゃれとは言うもののいかほどのものかと思っていたのですが、本当に安くておしゃれ。今ではオープン当初の人ごみもどうやら緩和されているようで、ファミリーやらカポォやらがぽつぽついるような、ほどほどの人の入りでした。そんな中、一人で「おお、安いな」などぶつぶつ言いながら、50円のマウスパッドやら79円のポプリやらいろいろ買ってしまいました。島陳のように至るところに置いてある目玉商品やら、ポップなサインやら陳列の妙ですね。いやあしかしエキサイティングで面白かった。また日本を離れる前に行く事になるんだろうな。
ちなみにもう何度も通っている風景だけれども、相変わらず京葉地域の工場や団地が連なる風景ってすごいものがある。誤解を恐れずいえば、モスクワでみたような社会主義的な団地の風景と通底するような殺風景なものだと思うが、ひたすらに無表情なその風景に感興に似たものを覚えたりする。ニヒリズム。
※ちなみにコメントやトラックバックを受け入れるようにしました。万が一このサイトを見ている方がいらっしゃれば気軽にどうぞ。

留学02|奨学金とか


大方の場合、留学するときの問題点といえば、語学とお金だと思います。この二つは切り離せないものだと思いますが、僕の場合も奨学金が受給には多くの時間を割きました。結局はだめだったのですが。
最初はロータリークラブという団体の「国際親善奨学生」というものに応募しました。この奨学金についてはいろんなサイトや、ロータリーのホームページを見てもらう方が早いのですが、なかなか手続きに関する情報がないのが事実です。
ロータリークラブというのは国際親善を目的として戦前より続いているある種の社交クラブのようなもので、全世界各地に存在するものです。国内でも各県に数個の地域のクラブと、もう少し大枠で各県、あるいは数件にまたがる数字四桁で表される地区クラブという二つが存在します。
国際親善奨学生として受け入れられるためには、まず地域クラブからの推薦を得た上で、地区クラブの選考を得て、さらにロータリー本部に推薦されて、受給が決定します。ロータリー奨学金のいいところは、各クラブで数名(年々減ってきているようですが)の受給者を選出しているということで非常に倍率が低いということがまずあると思います。相当額(MAX25000ドル)もの奨学金をこのように平等に受給できる奨学金のものとしては唯一のものだと思います。また、国に関してもどこでもよく、むしろロンドンやニューヨークのようなメジャーなものほど不利で、ちょっと外れたところになると有利ということもあるようだったので、フィンランドを志望する僕としては打ってつけのものだったと思います。また地方になればなるほど、受験者が少なくなり有利というのもあったりして、選考自体は留学する一年以上前からはじまってしまうのでそこらへんの折り合いがつけば非常に可能性の高いものといえます。
僕の場合、面接等ありましたが、地区のロータリーの方などのお世話もあって、知り合いがいたためになんとか地区の推薦を獲得するところまでは難なく進むことができました。しかし本試験の方で、英語の面接、面接ともにうまくいかず、TOEFLのスコアや志望動機の曖昧さもあって、結局は補欠合格という非常に厳しい結果となってしまいました。受験者は15人ほどでその中で4人選出のところを5番目、という悔やんでも悔やみきれない結果でしたが、それでもあの面接のうまくいかなさ(苦笑)の中ではよくそこまで、というのが正直の印象です。
次に出したのが、いわゆる国費奨学金というやつですがこれは留学する国によって状況がまるで違うと思います。フィンランドの場合は、まず日本の文部科学省に書類を提出して、それが通れば、向こうの教育支援団体(CIMO)というところに推薦され、選考が行われてそこから結果が直接帰ってくるというものです。こちらも日本で通過するのは10名で、かつ提出できる条件が非常に厳しい(修士号取得者、大学、研究機関に在籍しているなど)ので、それほど提出する(できる)人は多くないのではないかと思います。また、このときには、留学希望の大学の受け入れ許可が事前に必要だったために、昨年の10月時点で既に受け入れ許可は得て、もう奨学金はだめでも行く、という状況を作ってしまいました(笑)。
政府奨学金の書類の提出は、修士論文の提出の次の日だったこともあって、修論も焦る間もなく早めに提出し、最後はバタバタになって書類を提出しました。希望者多数の場合面接、ということでしたが、面接もなく文部科学省の方からはあっさりと通過の通知がきました。ところがこれもCIMOの方で「ごめんね、奨学金は出せないよ」という、あっさりとした文書が届き結果は没となりました。理由は書いていなかったので何がよくなかったのかはよくわかりません。
いずれにせよ、今は必死に働いて稼ぐはめになってしまいました。
敗因は二つともおそらく詰めの甘さだったのだと思います。事情はあったにせよ、二つともかなり早めに動いて行動していた割には、その行動やモチベーションが最後まで持続せず、我ながら肝心の計画書などの部分でふがいない内容のものを提出してしまいました。またTOEFLの結局200点(CBT)にも達せず、それも少なからず影響したと思われます。
ただ、この手の奨学金等は先述したように、提出するまでの条件が難しく、またその手続きも非常に煩雑なため、提出まで至る人が少ないと思われて、僕のような人でさえもいい所までいけたし、なくても行くんだという気持ちを持ってガンガンチャレンジしてみるのもいいと思います(←説得力がない)。
写真は失意の金沢駅。