トリエンナーレ




越後妻有アートトリエンナーレ2006のオープニングに行ってきました。かなりいろいろな作品を見る事が出来、とても沢山の写真を撮ってよく撮れているのも多いのですが、プライベートなものではなかったので、ここであまりアップできないのが残念。せめて棚田の風景と、MVRDVの「農舞台」と、ある作家の作品(いずれもあまりよく撮れていない)だけアップします。今回は廃校などのリノベーションやコンバージョン、また古民家を使ってアートを展示したりするものが多くて、民家再生か、、、とかちょっと思ったりしましたが(苦笑)、いろんな切り口のものがあって素直に面白かったです。
印象的だったのは、クリスチャン・ボルタンスキーの作品、日芸の彫刻科の人たちの民家の柱や梁を彫刻刀で削るもの(!)、フィンランド人の作家が作った吊り橋の横にTシャツを吊った作品(写真)でした。あとはやっぱり「農舞台」がとてもかっこよかったのと、この辺り特有の「棚田」が素敵だったことでしょうか。そういえばキョロロには行けず残念。
ところで、パーティー会場では、ある建築家の方にフィンランドに留学する事を話していたら、写真の作品を制作したフィンランド人のアーティストを紹介して下さいました。どこの大学に行くの、なんて話を英語でしていましたが、会話は続かず気まずくなったので、とっさにフィンランド語で自己紹介を少ししてみました。大使館の人とかを除けばほぼ初めて直接話すフィンランド人。それがトリエンナーレに出品するようなアーティストだったのが不思議な感じでした。やや難しくなってついていけなくなったころ、「食券で何か食べる物を買いにいくわ」となったので、Kiitos! moi moi!(どうもありがとう、またね!)と言って名刺だけ交換してお別れしました。いずれにしろ語学の鍛錬が急務だなあ。

ジョギング


最近はよく深夜にジョギングをします。
ちなみにjog[狭い歩幅で比較的ゆっくりと走ること(アルク:英辞郎)]。今の心境に近い。「比較的」というところあたりが。
目的は健康維持とダイエット(苦笑)。おかげで大分やせました。
走るといろんな事を考えられてよいです。
10代の頃には嫌いで嫌いでしょうがなかった近所も大分変わってきました。特に変わったのは、商業施設や工場、倉庫などが次々と住宅に変わっていく事。僕が住んでいる近くにはコンビニが三件あったのが最近では一件になってしまいました。
都市に関して。
いろいろ考えたみてもやはり東京はとても好きだし、ファンタスティックで面白いと思う。美観についてはやはり絶望的かもしれないけど、それも含めて人がワサワサ蠢いている感じや、赤ちょうちんの飲屋街、深夜のロジスティックスだけが生き残った感じとかとても魅力的だと思う。
郊外も郊外で結構好きで、というのも自分が住んでいるところが静かで治安もいいし、休日はずっと家にいてもインターネットで買い物も出来る。そりゃあコンビニだっていらなくなる。
地方都市はどうだろう。他人事のようだが寂れた商店街や、廃墟寸前の村落は哀愁があって好きだし、一方でその開発には物悲しさはあってもしょうがないことだと思う。
大事なのは、既にあるもの、自分がいる環境に対してどう振る舞うか、使う環境に対してどう使うかで、能動的な姿勢でいることなんだろうな。
ヘルシンキに行ったらそこらへんを押さえたいと思う。建築や都市の使い方や考え方、生活の仕方、余暇の使い方、お金の使い方、学校や労働のあり方、隣人との付き合い方や宗教との接し方、いい人、悪い人、僕って何。退屈さや窮屈さ、居心地の悪さをケムに巻いたら。設計製図をもう一度やりにいくわけではないからね。
写真はジョギングコース(冬)。

七年目の邂逅



大学時代のドイツ語の同期の友人であるコピーライターS氏ともうすぐ編集者?N氏と神楽坂のブラッセルズにて痛飲。ベルギービールを初めて飲む。その後記憶を飛ばし撃沈。
氏たちとはドイツ語の同期で知り合ってもう七年。とはいったものの、ずっとあまり言葉も交わさないような仲でしたが、大学四年の時にふとした機会にとある定食屋でホッピーを飲み交わしたのを機会にして以来いろんな場面でお会いしたりしています。
事情はそれぞれだけど、活躍っぷりにすごいなあと心から思えるし、決して腐らず穏やかで、そんな人たちと話していると話すとワッと視野が広がるような運気がアップしている手応えがあってとても心地よさを感じます。何とぞこれからもよろしくとな。
※写真は以前にいった篠原一男の作品。
先日81歳にして亡くなられたとのことでした。作品はもちろん生き方や思想もとても好きな建築家で建築をはじめるときにもすごく感化されたのを覚えています。ご冥福をお祈りします。

カウリスマキ


最近は暇を見てアキ・カウリスマキの映画を見直したり、新たに見たりしています。
*マッチ工場の少女(Tulttikkutehtaan tytto)/1990/フィンランド/97分
*レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ/1989/フィンランド・スウェーデン/78分
*レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う/1994/フィンランド/95分
*浮き雲(Kauas pilvet karkaavat)/1996/フィンランド/96分
カウリスマキの映画は、セリフが少ない、登場人物が無表情、尺が短いなどが特徴的だと思いますが、特に「ニヒル」なストーリー展開も独特でとても心地よいです。とにかく淡々と進むんだけどドラマチックで深くしみいる。そんなカウリスマキの映画をみていると、ふと日本映画、特にタケシ映画と似ているな、と思うことがあります。既に書いた特徴の他にも、ふとしたカット、例えば暴力シーン(そんなに激しいものではないけれど)では登場人物がさっとフレームアウトして音だけ聞こえて血まみれの人が出て来たりするところや、ナンセンスなギャグ、心ない優しさ、不条理な人間性なんかを見ていると、似ているなあと思ったりします。
また、音楽もとても独特でフィンランド独特の歌謡曲からロックンロールまで幅広く効果的に使われています。「過去のない男」では、日本の歌謡曲としてクレイジーケンバンドの楽曲が使われているのが有名ですが、とにかくいろいろな音楽が楽器隊の演奏からラジオの音、ジュークボックスから流れる音、いわゆる映画サウンドとは異なる形で現れてくるのがとても印象的です。ここばかりは近年のタケシ映画のように、音楽が作品の情緒やアイロニーまで強奪して一つの感情に向かわせようとするようなモノ(とても悪趣味な!)では決してなく、そこにいる個々人の感情であったり、あるいはそれと裏腹な旋律であったり、場を成立させるために必要十分なものとしてそこに流れているように感じます。
淡々とした「ニヒル」な物語や映像と音楽、それが静かに心に定着していく感じがとても好きだし、この「ニヒル」さをキャッチできる国民が沢山いる国だと、気が合いそうだなあなんて夢想して止みません。
写真は先日のIKEAの出口。おしゃれだと思った。