HELSINKI26|excursion, exbition, wood program


タピオラの教会、Aarno Ruusuvuori、1965、Tapiola
とうとう大判カメラで撮りました。外観その一。

外観その二。

Church of the three crosses IMATRA, Alvar Aalto、1957-58、Imatra
イマトラの教会内観。工事中だったのを入れてくれた。想像以上によい。本当は中は三室に可動式の間仕切りによって仕切られているのだけど、他は工事中で入れなかった。でもこの一室のコンパクト差と有機的さがとてもよいと思った。

Sunila pulp factory complex and housing estate、Alvar Aalto、1935-54、Karhula、Kotka
アールトによる集合住宅群。広大な敷地にアールトの建築が沢山。来る前まで全然知らなかった。この写真は元管理人の家。

Lauritsalan kirkko, Korhonen, Toivo & Laapotti, Jaakko, Lappeenranta, 1969
ペラペラな薄い感じを豪快な構造で支える建築。内観が外観に比べてシンプルだった。

ウッドプログラムの今年度の作品。詳細は次回のJDNで、、、
*春はゆっくりゆっくり来ています。ジャケットがいるのだかいらないのだか、日本のようにはっきりとした変わり目や臭いがないせいか、季節感が狂ってしまいます。しかも、朝三時くらいから夜の11時くらいまでそれなりに明るいのもまた。
*ウッドプログラムの今年の作品が完成しました。残るは後フォトグラフィスタジオの講評とマイレア邸エクスカーション、そしてあと少しの提出物。いろいろあったけどこの一年で自分の建築に対する見方だったり、態度だったり、考え方だったりが結構変わって、そしてフィックスされたような気がします。
*六月一日から12日間ほど、モロッコ、ポルトガルに行ってきます。最初はポルトガルで建築を見るのがメインだったのですが、ガイドブックやインターネットを見ているとモロッコがあまりに魅力的過ぎて、だんだんそっちがメインになってきました。今回は、ヘルシンキとはいろんな意味で大きな違いのある国に行くのでそれなりの緊張感を持っています。旅と言えば、僕は疾走型の旅を好みます。しかしこういう旅をするのもしばらくないかもしれないので一歩一歩大地を踏みしめながら疾走する感じにしたいです。

HELSINKI25|wappu, photograph, execise


タピオラの教会、 Aarno Ruusuvuori 、1965

ヴァップ(メーデー)の風景
しばらく更新していませんでした。忙しさも一段落したところに、日本のGWが重なり両親や友人の来訪もあったもので。というのは言い訳で、パソコンの前にいるときはサウスパークばかり見ているため。
先日大判カメラの実習も終わり、本番を撮ってきました。まだ現像前ですが、仕上がりが楽しみです。なるほど思ったよりずっと簡単ですが、手軽に一枚、という感じではないので、途中でチャンスを逃したりしながら、太陽が来て欲しい所に来るまで待つために大変時間をとられて、結局五枚撮るのに七時間も費やしてしまいました。
※ウッドプログラムも佳境を迎えています。それはまたJDNでレポートしようと思っています。
INAXのリノベーションフォーラムにフィスカルスについて寄稿しました。ご笑覧下さい。

HELSINKI24|Easter


セイナッツァロの村役場、Alvar Aalto、1952

ムーラメの教会、Alvar Aalto、1926-29

Workers Club、Alvar Aalto、1925

自警団、Alvar Aalto

ドア・ディテール

ユヴァスキュラ市立劇場、Alvar Aalto、1964

搬入口の壁のディテール

ペタヤベシの教会、1763

ディテール
*イースターを活用してエンジニアの友人などと車を借りてユヴァスキュラに行ってきました。ユヴァスキュラといえば、アールトが五歳から移り住んだ故郷のような場所で、初期の作品から実験住宅まで様々な作品が集まっています。
しかしイースターということで実際に入れたのは美術館のみ。そして、美術館の展示内容はいまいちでした。ロケハンみたいな感じです。それでもアールトの初期の作品は興味をそそるに十分でした。特に労働者会館や、自警団ビル、ムーラメの教会、新古典主義からモダニズムに転じるその一瞬や、それ以前にアスプルンドによる影響などを伺う事が出来て興味深いです。やっぱり中に入りたいので、おそらくあと一度くらいは行くはず、、、
*BABEL(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、2006)を見る。
アメリカ、モロッコ、メキシコ、日本という遠く離れた地で起こる物語。バベルの塔のように、愚かしさのゆえに人間が遠く切り離された今も世界は繋がっているにも関わらず、コミュニケーションの問題や制約が人々の間をなかなか近づけようとしない現代を描いている骨太な映画。
この映画は役者が非常に印象に残る映画だと思う。菊池凛子の演技も話題となった通り存在感のあるものだったけど、アメリカ人、モロッコ人の子役も非常に素晴らしい。役所広司をはじめとする大人も同様に。
惜しむらくは、ラストシーンに至るところでそれぞれの話がブツ切れのような形になっているところ。それぞれの話がそれぞれに引っかかってという期待を持ってしまったからかな。

HELSINKI23|spring has come


Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/外観

Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/塔の部分

Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/ディテール

Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/ディテール02

Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/内観

Myyrmaki Church (1984) Juha Leiviska/内観02
ヘルシンキにも春が到来せんとしています。
毎日快晴の日々、日中の気温は10℃を超え、本当に幸せを感じずにはいられません。日本の春のにおいや雰囲気から感じる春の訪れのような、どこかういういしくて憂鬱な気持ちや感情だとか何とかは、気候の違いによって感じることが出来ないのが残念だとは思いますが、それを遙かに凌駕して快適です。もうダウンジャケットを着なくてよいなんて、、、
それと共にエクセサイズもはじめました。友人に連れられジムに行ったのを始め、海沿いをランニングしたりしています。サマータイムに突入し、夜も九時くらいまで明るいので、驚くほど美しい夕暮れを背にジョギングをしていると、ああ何ていい国なのだろう、、、とふと考えたりします。
写真は、レイヴィスカという建築家によるミュールマキの教会。これも写真のスタジオのために撮ったもの。四日連続で異なる時間に通って合計3、400枚撮りました。カメラは初心者なので、毎日沢山撮っていると、自分の技術がだんだん上がっているのが目に見えてきて本当に面白いです。
そして写真にとってもちろん光は最も重要な要素ですが、今更ながら建築もそうなんだなと気づかされました。光によって内観も外観も全く違って見える。レイヴィスカの建築は正直ピンとこない部分があったのですが、なるほど教会ということもあって時間の経過とともに見せる表情の違いが一つポイントな気がします。もちろん、どの建築でもそうだけど思うんですが、この極端な気候だったり暗さや明るさというものもきっとあるんでしょう。冬の最も暗い時の朝に来てみたいです。
次回はlarge format cameraに挑戦予定。いわゆるシノゴとかそういうやつです。先生が希望者にレクチャーしてくれるらしい。ワクワク。
*そういえばAdobe CS3がリリースされました。Photoshopのベータをダウンロードして使ってみたところバッチリサクサク動いてくれます。ありがたや。これまでIntel Macではアドビがネイティブで動作しなくて何の作業も出来なかった(windowsでやっていた)のですが、これでやっと人間らしい速度で使えます。やっほい。

HELSINKI22|party


前回の続き。library外観。

内観。中二階から。写真上のボコボコがいい感じ。

教会内観。思ったより小さくて凝縮されている感じ。

教会のエントランスから参道(?)を臨む。
最近は、日の入りが大分遅くなりました。大体七時くらいまではもううっすら明るいです。
気温も日中は5℃くらいまでなるし、晴れの日は本当に気持ちがいいです。
日常生活などを最近記していなかったのですが、基本的にウィークデイはウッドプログラムのスタジオか写真のスタジオのどちらがあって、夜は水、木くらいにちょっとした飲み会をやったりして、金、土は殆ど何らかのパーティーな気がします。やはり楽しい「パーティー」とはいえ基本的に疲れるので、日曜日は重要な安息日です。
最近はどうしたわけかワインにはまっています。日本にいるときは、基本的に何でも食べる路線で、「おれはワインだけはだめだし味なんてわかんねーよ」という態度でいましたが、ここ最近に出会った音楽家の方たちやクラスメイトの影響でワインを飲むようになりました。最近はパーティーで飲むビールよりも、誰かと買ってきたワインを家で飲む方がずっと楽しさ、いや喜びとでも言えるだろうか、いずれにしろそちらの方が好ましい気がします。家で飲むと店で買うよりも安くてよいワインが飲めるしね。
まあそれでいて、何でも気にせず食べる雑食家でいたいなと思うにせよ、美食家でもありたいなと同時に思います。食の世界は奥が深いわ。ワイングラスの形状から、食べ合わせや食べる順番、配置まで何かと興味深いです。とはいえ、いずれにせよ「美食家」というのは性格上多分無理な気がするけど、、、
※写真のスタジオの第一回目が終わりました。意外にも好評でなんだか照れくさかったです。あまりほめられ慣れていないからね。クラスメイトのイタリア人とアメリカ人とちょっとした写真の展示もやることになりました。
※BBSが死に絶えそうになっているので、noticeとしました。ブログよりももう少しフランクに適当なことを書く予定。英語はぐちゃぐちゃな予定。

HELSINKI19|カメラ


凍って歩けるオタニエミ周辺の湖。

キアズマの横の建物。
今期はphotography studioというのを履修しています。
先生は三人いて、セメスターを通して三回作品の提出があります。最初の先生は、ari saartoさんという方で日本に造詣の深い方のようで、展覧会も多々行われているみたいです。授業に遅れて行くと、「コンニチハ」と言われ、スクリーンには隅田川沿いのホームレスの写真が映し出されていました。
カメラは基本的に記録写真としてしか使っていないのですが、せっかくなのでこの機会に表現写真にも挑戦したいです。あるテーマを自分で考えて写真を撮る、というのはほとんどやったことがないのでいざ言われるといろいろとアイデアは浮かんでは消え、実際撮ってみるとうまく行かなかったり、建築と似たようなものなんだなと思ったりします。
今回の課題はデジタル。学校から借りれるもの(Nikon D2X)でも自分のでもいいらしい。カメラ借り合戦になりそうだから自分のを使おうかな。いずれにしろやはり日本からよいレンズを持ってくるべきだったなしまったな、、、
アップしたものは、よく撮れたもの。Raw dateの威力はすごい。
*明日からちょっくらロンドンに行ってきます。

HELSINKI18|寒波


Olavi Koponen, Kotilo(The Seashell House)、 2005、Espoo、外観

ラップランドの風景。
ヘルシンキにもようやく寒さが到来し、寒い日はマイナス20℃、少なくともマイナス10℃を超える日が多くなってきました。外に出るのがひどくおっくうで、怠け者になりそうで、アフリカやハワイとか、とにかく南の国に行きたいな、と思うようになりました。
最近は、前のエントリーのようにレヴィにいって、雪の彫刻をつくったり、ウッドプログラムのコンペを提出したり、アルバイトを続けたり、飲んだり、飲んだり、飲んだりとなかなか忙しくすごしていました。コンペに関しては満足のいく物が出来たんじゃないかと思います。少なくとも自分の壁みたいなものを超えることができました。先生の言うことに納得出来ずにいたものの、やはりアドヴァイスは聞き入れる部分も多々あって人との対話は本当に重要だと思います。
ところで、やはり海外で建築を学ぶメリットはやはり雑音がある程度遠いところにあって、集中して建築を出来ることだと思います。今更ですが、建築を楽しんでいます。知識や技術はさておいてこういう事が自分の栄養になったり、自信になったりすればとてもよいです。
ところで最近高木正勝さんの動画がアップルのホームページにありました。五年くらい前、何気なく見ていたNHK教育なにかテレビで、動画が使われていてひどく感動して友人から”Journal for people”を借りました。何百回と聞いたので彼の音楽は食傷気味だったのですが、新しいものも素晴らしく洗練されており、思わずITMSからダウンロードしてしまいました。日本のこういった繊細で美しい感性を懐かしく思うし、自分も発揮しなきゃなと思います。

HELSINKI17|休暇


ロヴァニエミ、14時頃アクティウムから北方向をのぞむ。

ロヴァニエミ美術館、Juhani Pallasmaa、1986
倉庫を改修してできた美術館の照明。照明が天井の形状に影響を及ぼす。
最近はやっと寒くなってきました。寒いのには弱い方ではないですが、さすがにマイナス10℃くらいはちょっと出るのがおっくうになって引きこもりになりがちで、かつテレビを手に入れて(というか視聴の方法が分かったので)、ディスカバリーチャンネルをよくみています。
一月の上旬にはラップランドに行ってきました。うっすらとオーロラがみれたし、ロヴァニエミも体験できて面白かったです。太陽が低い位置を推移しているので日没頃のうっすらと明るい空の色は印象的でした。大昔のことを想像してもし建物も少なく木々に覆われ、この不思議な空の色や季節の移り変わりの速度を考えるとサーミ人が精霊信仰なのもなるほどと思います。自然が全てを司るものであり、その声を聞くことが出来る人が現れシャーマンになる、、、
ちなみに僕が行ったときの気温は-20℃くらいでした。-20℃の世界は本当に凍てつく感じなので顔が硬直し、息を吸うと咳き込むし、30分くらいするともうこらえられないくらいになってしまったのですが、どことなく気が引き締まる感じで心地よくもありました。月末にもう一度ロヴァニエミの先のレヴィという所に雪像コンテストみたいなやつに参加しに行く予定です。今のレヴィの気温は-32℃だとか。困ったものです。しかし今度はしっかりオーロラをカメラでおさめるつもりです。

HELSINKI13|本、人


rautatientoriに出来たスケートリンク。僕も事務所のみなさんとスケートをしてきた。ボスたちはアイスホッケーをやっているし、同僚のオランダ人も毎日冬はスケートで学校に通っていたんだ、と自分以外はプロ級。六歳の時以来やっていない自分はヘルメットをつけて挑戦するも無理すぎる。いろいろ教わったのですが、I know what you say, but I can’t do that! などと叫びみなにしがみつく。手すりもないしさ、、、周りの視線が痛かった。たくさん写真はあるが、アップ出来る代物ではありません。
*久々に少し本を読みました。日本から持ってきた本はガイドブックの他にはロンドンで友人にもらったタニサキの「陰翳礼讃」と、柳田国男の「遠野物語」です。後者は海外に来られる方にはお勧めです。いろいろはっとさせられる文章が多いです。というか日頃の立ち居振る舞いを考え直させられます。笑っている場合じゃないね。

だから今日の定義としては、ヱミはむしろ人生の渇油、殊に女がこの世を平穏に、送ってゆけるために具わった自然の武器と言った方がよい。そうするとこの点においても明らかに、また一つのワラヒとの差別が見出されるのである。笑いは最も多くの場合において、笑われる者の不幸を予期している。刃物では傷つけない一種の闘諍、または優劣の露骨な決定を免れ難い。今まではそれを避けるためにできるだけ縁の遠い、笑われても構わぬものを捜してはいたが、結局は笑う者自らを孤独にすることは同じであった。笑って世の中を明るくするというのは、手近にまだ笑われてもよいもののいる間だけである。そういうものを極度に少なくするのが永い間の人間の努力であった。幸いにして我々は、ヱガホがその笑いの先触れでも準備でもなく、むしろその反対に、笑うまいとする慎しみの一つであることを知った。ただその中には受け身のものと働きかけるものと、または自分一身のためにするものと、人を考えて何物かを与えようとするものと、二種の価値段階があることは争えないのである。[柳田国男、女の咲顔「遠野物語」集英社文庫、1991]

*もうすぐ、人生の中でも少なからず影響を受けた方がヘルシンキにやってきます。知識人っていうのはこういうものなのか、こうは絶対になれない、と本当に思った人の一人。教えてはくれないのだけど、知識の扱い方、建物の見方、外国での立ち居振る舞い、メールの打ち方、ご飯の食べ方、お酒の飲み方を見せてくれた人。出会っていなかったら、もっといろいろな建築だったり美術に素直に感動していたのかもしれない。しかし本当の事を知っている。僕も今では本当の部分を知りたいと思うようになった。フィンランドについても尋ねたい事が沢山ある。が、しかししかししかし、、、さてさてどうなることやら、、、

HELSINKI12|休み、労働、建築写真


ヴィートゥレスク(エリエル=サーリネン、アルマス=リンドグレン、ヘルマン=ガゼッリウス、1903)
知人にお誘い頂いて訪れた。中世から(日本だったら近世か)近代へ向かう時代の20世紀前後の建築はいつ見てもどこの国でもちょっと不思議で楽しくて好きだ。

エスプラナーディのクリスマスマーケット。幾つか購入。意外と安い。

Kamppiの中の寿司屋。味噌汁2ユーロはなしですぜ。

働いている事務所。

オリンピックスタジアムの中で行われた秘密(?)のパーティーの時に撮影した展望台からのヘルシンキの街並み。
*いつも少しだけ手伝っている(でも奥付に名前が!)エクスナレッジのHOMEの「建築写真」特集が届きました。まだパラパラとめくっただけですが、本の臭いが少し日本を思い出させました。
*前半のセメスターが終了して、冬休みに突入しましたが、ここぞとばかりに毎日労働をしていて学校があったときより忙しい感じです。しかし「外国で働いてみる」というのは一つの成し遂げたかった目標だったので毎日新鮮です。またとても楽しい事務所に出会えたのも本当に幸運でした。
*ところでフィンランドに来て建築の作業をして最初に感じたことは標準化のこと。
ツールに関してだったら、今や多くの国で同じCADなんかの設計ツールが使われているし、理念についてもヨーロッパやアメリカなんかの先進国で学ぶ建築の人たちは、つまり建築について「面白い」というのはこういう事で、それはプリミティブなものも含んでいると思うのですが、だからそうする、というある理念を共有している。今だったらやや言語化されにくいロジックを元に同じツールで作る。ある批評家はそれを「後期バロック」と呼んでいたけれど、日本もその一つでしかなくて、世界の中で建築は、その教育も含めてどんどん均一化されているのかなということを時折感じます。
何も懐古主義的な事を空想するわけではないのですが、それをブレイクスルーする何かが生まれるのだろうか、と考えるとウーンとなってしまいます。
それでも一応やはり国によって差異はあって、それは気候だったり、コモンセンスだったり法律だったりすると思うのですが、特にフィンランドの幾らか堅実な作品や街並みを見ていると、それは古い建物からアールトなんかの近代建築、そして現代建築も含めてですが、何かしらバロック的なもの以外のものもあり得るのかな、なんて考えます。
こんな事を書くつもりではなかったのですが、誤解を恐れず書いてしまいました。
要するに、ヘルシンキに来てからオートキャドとスケッチアップを覚えて、ヘルシンキのお店やバーやあるいは建築の、気取りきれない、でも自然な感じが最近妙に気に入っているということです。