HELSINKI15|2007


明けましておめでとうございます。
年明けはSenaatintoriの前でカウントダウンをして過ごしました。街中花火をする人たちで溢れていました。花火の高さが低かったのもあったけど花火の写真を撮るのは難しい。今度は日本のでかい花火で三脚付きで挑戦したいです。
今年の抱負というわけではありませんが、積み重ねてきたものを還元する年にしたいです。そろそろね。それは労働とかそういう事だけではなくて。目標としては時間の使い方をうまくしたいです。とはいえ新年からyoutubeでチュートリアルの漫才を見ていた、、、
明日からまた労働です。
とにかく今年もよろしくお願いします。

HELSINKI14|2006


トゥルクの教会付近。

トゥルクのFORUM MARINUM付近。
ダウンジャケットを生まれてはじめて買って着ています。余りの暖かさに少し驚いています。あとブーツも。ヘルシンキは今のところそんなに寒くはないのですが、セールも始まったし、そろそろ北へ向かう準備をしようと思ったのです。
おそらく今年最後のエントリーになるのですが、今年はどんな年になったのでしょうか。修論を提出し、それなりに満足感を得て研究に楽しみを見出し、その後は毎日労働に勤しみ、労働に楽しみを見出し、出国が近づきいろんな人々のありがたさを知り、ヘルシンキにやってきて、海外生活に楽しみを見出し、、、おそらくいい年になったのではないかと思います。
今年の抱負を振り返ると「健康」でした。「健康」の中には「禁煙」が一番大きなテーマと掲げられたにも関わらず、達成出来なかったものの、タバコを吸いながらでも健康で過ごせたのでよかったことにしましょう。
大きな環境の変化があったからか、身近に言葉を扱う職業の人がいるからか、いろんな言葉がやけに響いた年でした。こういう個人的に響いたことをあまり公で言うのもどうかと思うのだけど、せっかく年の瀬なので一つ。
ある女性ミュージシャンのブログでファンがそのミュージシャンに憧れる余りにどうしたらその人のようになれますか、と質問したところ、そのミュージシャンの返答で、
「私になっても面倒な事ばかりでいいことはありませんが、リップスティックをいつも二本持ち歩くことと、10人に1人いるかいないかの理解者を大事にすることです」
という。リップスティックというのと、10人に1人という塩梅がとても素敵に感じました。その逆もしかりなんだななるほどなあ。
なんだか振り返ると心に残っている言葉だったりコメントだったりというのは殆ど「人間とはいかなるものなるぞ」的な哲学的なものばかりです。そういう年頃なんですかねえ。
今年も一年ありがとうございました。よいお年を。

HELSINKI13|本、人


rautatientoriに出来たスケートリンク。僕も事務所のみなさんとスケートをしてきた。ボスたちはアイスホッケーをやっているし、同僚のオランダ人も毎日冬はスケートで学校に通っていたんだ、と自分以外はプロ級。六歳の時以来やっていない自分はヘルメットをつけて挑戦するも無理すぎる。いろいろ教わったのですが、I know what you say, but I can’t do that! などと叫びみなにしがみつく。手すりもないしさ、、、周りの視線が痛かった。たくさん写真はあるが、アップ出来る代物ではありません。
*久々に少し本を読みました。日本から持ってきた本はガイドブックの他にはロンドンで友人にもらったタニサキの「陰翳礼讃」と、柳田国男の「遠野物語」です。後者は海外に来られる方にはお勧めです。いろいろはっとさせられる文章が多いです。というか日頃の立ち居振る舞いを考え直させられます。笑っている場合じゃないね。

だから今日の定義としては、ヱミはむしろ人生の渇油、殊に女がこの世を平穏に、送ってゆけるために具わった自然の武器と言った方がよい。そうするとこの点においても明らかに、また一つのワラヒとの差別が見出されるのである。笑いは最も多くの場合において、笑われる者の不幸を予期している。刃物では傷つけない一種の闘諍、または優劣の露骨な決定を免れ難い。今まではそれを避けるためにできるだけ縁の遠い、笑われても構わぬものを捜してはいたが、結局は笑う者自らを孤独にすることは同じであった。笑って世の中を明るくするというのは、手近にまだ笑われてもよいもののいる間だけである。そういうものを極度に少なくするのが永い間の人間の努力であった。幸いにして我々は、ヱガホがその笑いの先触れでも準備でもなく、むしろその反対に、笑うまいとする慎しみの一つであることを知った。ただその中には受け身のものと働きかけるものと、または自分一身のためにするものと、人を考えて何物かを与えようとするものと、二種の価値段階があることは争えないのである。[柳田国男、女の咲顔「遠野物語」集英社文庫、1991]

*もうすぐ、人生の中でも少なからず影響を受けた方がヘルシンキにやってきます。知識人っていうのはこういうものなのか、こうは絶対になれない、と本当に思った人の一人。教えてはくれないのだけど、知識の扱い方、建物の見方、外国での立ち居振る舞い、メールの打ち方、ご飯の食べ方、お酒の飲み方を見せてくれた人。出会っていなかったら、もっといろいろな建築だったり美術に素直に感動していたのかもしれない。しかし本当の事を知っている。僕も今では本当の部分を知りたいと思うようになった。フィンランドについても尋ねたい事が沢山ある。が、しかししかししかし、、、さてさてどうなることやら、、、

HELSINKI12|休み、労働、建築写真


ヴィートゥレスク(エリエル=サーリネン、アルマス=リンドグレン、ヘルマン=ガゼッリウス、1903)
知人にお誘い頂いて訪れた。中世から(日本だったら近世か)近代へ向かう時代の20世紀前後の建築はいつ見てもどこの国でもちょっと不思議で楽しくて好きだ。

エスプラナーディのクリスマスマーケット。幾つか購入。意外と安い。

Kamppiの中の寿司屋。味噌汁2ユーロはなしですぜ。

働いている事務所。

オリンピックスタジアムの中で行われた秘密(?)のパーティーの時に撮影した展望台からのヘルシンキの街並み。
*いつも少しだけ手伝っている(でも奥付に名前が!)エクスナレッジのHOMEの「建築写真」特集が届きました。まだパラパラとめくっただけですが、本の臭いが少し日本を思い出させました。
*前半のセメスターが終了して、冬休みに突入しましたが、ここぞとばかりに毎日労働をしていて学校があったときより忙しい感じです。しかし「外国で働いてみる」というのは一つの成し遂げたかった目標だったので毎日新鮮です。またとても楽しい事務所に出会えたのも本当に幸運でした。
*ところでフィンランドに来て建築の作業をして最初に感じたことは標準化のこと。
ツールに関してだったら、今や多くの国で同じCADなんかの設計ツールが使われているし、理念についてもヨーロッパやアメリカなんかの先進国で学ぶ建築の人たちは、つまり建築について「面白い」というのはこういう事で、それはプリミティブなものも含んでいると思うのですが、だからそうする、というある理念を共有している。今だったらやや言語化されにくいロジックを元に同じツールで作る。ある批評家はそれを「後期バロック」と呼んでいたけれど、日本もその一つでしかなくて、世界の中で建築は、その教育も含めてどんどん均一化されているのかなということを時折感じます。
何も懐古主義的な事を空想するわけではないのですが、それをブレイクスルーする何かが生まれるのだろうか、と考えるとウーンとなってしまいます。
それでも一応やはり国によって差異はあって、それは気候だったり、コモンセンスだったり法律だったりすると思うのですが、特にフィンランドの幾らか堅実な作品や街並みを見ていると、それは古い建物からアールトなんかの近代建築、そして現代建築も含めてですが、何かしらバロック的なもの以外のものもあり得るのかな、なんて考えます。
こんな事を書くつもりではなかったのですが、誤解を恐れず書いてしまいました。
要するに、ヘルシンキに来てからオートキャドとスケッチアップを覚えて、ヘルシンキのお店やバーやあるいは建築の、気取りきれない、でも自然な感じが最近妙に気に入っているということです。

HELSINKI11|映画


ヘルシンキ、Aleksanterinkatuのライトアップ。土曜日深夜に撮ったのであまり人気がありませんが。

課題の途中の様子。
こちらに何を書こうか思案にくれているうちに一ヶ月以上更新が滞るところでした。危ない危ない。
最近はようやく大きな課題が一つ終わったので学内のネットワークを利用して映画を幾つか見ました。ここでの問題といえばやはり言語。日本の映画やアニメーションはいいとして、外国のものはかなり限定されてしまいます。つまり、字幕はフィンランド語が殆どだからです。かといって英語の映画もなかなかみたいものがないし、その前に理解度なんて50パーセントぐらいなんだけどしょうがないですね。ということで英語と日本語の半々になっている、外国人にもよく訪ねられる映画を選んでみています(というかこの二つしかしらない)。
*Lost in Translation, Sofia Coppola, United States, 2003
全く期待していなかったのだけどとても面白かった。外国人の目から見たTokyo、日本人がとてもよく表現されていた。しかし日本人がみるのと外国人がみるのではその受ける印象が大分違ってきそう。日本語が全部分かってしまうから。あと、日本人は完全に人間性を持ったものとして描かれていない点が気になったけど、きっとそう見えるからそうなんだろうな。
*kill bill Vol.1, Quentin Tarantino, United States, 2003
期待していたのだけど、全然面白くなかった。この映画は一体なんなんでしょう???残忍さはいいとしてこのB級感はわざと?エキサイティングじゃないし、ゲームみたいだし、全然きれいでもないし、殺陣の質もひどいし、エンターテイメントでもないし。うーん理解に苦しむ。これまで見た映画の中でもワースト5には入るなあ。

HELSINKI10|課題、近況


タリンの街並み(ふとっちょマルガリータから臨む)。

METSO-LIBRARY(ライリ&レイマ・ピエティラ)本人も同行して解説してくださった。すごいおばあちゃんでした。

内観。

カレヴァ教会(ライリ&レイマ・ピエティラ夫妻)。これはなかなかよかった。

内観。天井高は30メートルくらい。ヒョエー。

hyvinka:a:教会(Aarno Ruusuvuori)。

内観。

聖ヘンリー・エキュメニカル礼拝堂(マッティ・サナクセンアホ)

A+Uに出ていたあれです。

パイミオのサナトリウム。一度日が落ちてからいって、暗すぎてみんな写真が撮れなかったので、次の日もう一度行く事になった。中も解説付きでグルグル回ったのですが、内観はいい写真がないです。

外観逆側。
更新がすっかり滞ってしまいました。
毎日忙しくいろんな事をやっているので、何を書いたらいいのか分かりませんがその後も元気にやっています。一つの課題を提出しました。ディテールばかり考えていたのですが、やはりうまくいかなかった。CGはまあうまくかけたかな。今度アップ出来たらします。
近々の思い出としては友人TKO氏来訪とアーキテクチャーギルドのエクスカーション。友人とは(なぜか)エストニアのタリンで待ち合わせました。待ち合わせ場所に行く前に会ってしまう程旧市街は狭い。写真はタリンの街並みです。
次にエクスカーションですがギルドは学生自治組織のようなもので、各学科ごとに存在するようです。上に載せた写真のようにhyvinka:a:教会(Aarno Ruusuvuori)、パイミオのサナトリウム(アルヴァアールト)、カレヴァ教会(ライリ&レイマ・ピエティラ夫妻)など沢山の場所を訪れる事が出来ました。夜は50名ほどの学生でクラブへ。ヨーロッパや中米の学生はとてもノリがいい(良すぎる)。トゥルクのクラブを占領していました。フィンランド人くらい適度なノリが正直心地いいです。またこのエクスカーションを通してフィンランド人の建築学科の人たちと少し仲良くなれたのもよかったです。
ところで何人かの方にご指摘頂きましたが、JDN海外レポートのページで連載をさせて頂くことになりました。拙文ながらご高覧の上ご意見ご批判等頂ければ幸いです。ここと同じ写真を使う事も多いですが、ご容赦下さい。

HELSINKI09|アールト、美術館


weegee(espoo city museum)というペーパー・ファクトリーをリノベーションした美術館。アメリカ人のクラスメイトの友人がexibitionのデザインをやったそうな。それでオープンセレモニーに。建築家ともお会い出来た。名前は忘れたけど、、、(苦笑)。

The Social Insurance Institution/アルヴァ・アールト
内観その1。ライブラリー。

内観その2。食堂。

食堂の天井。

内観その3。二重になったトップライト部分。

内観その4。二重になったトップライトに挟まって出来た空間。

照明。
フィンランド建築史の授業の一環でアールトの建築の一つとしてThe Social Insurance Institution(1954-1956)に行ってきました。アールト自邸を訪れた時に「Less and More」というフレーズをみて、本人が言ったかどうか知りませんが、なるほどなあと思いましたが、この建築でも随所にアールト節が見て取れました。端正な外観に、やや過剰なまでの内観。そして手すりやドアノブ、照明といった部分一つ一つのデザイン。
ややもするとスタイルや大きな概念ばかりに捕らわれてしまいがちな建築のデザインも細部の組み立ての学習の重要性を教えられる気がします。日本にいると「実施」という言葉が何か特別な響きをもってしまいますが、こういう細部のデザインやディテールはものに触りながら学習あるのみだと感じていて、特に自分の下手な分野である事には自覚的でありつつも、もし働いたとして実際の建設に携わる機会を得る前にいろんなものから吸収して学んでいきたいです。
ともあれ非常に感心しきりで、もしヘルシンキに来る人がいたらお勧めの建築です。
※ICCで始まる展覧会のウェブ企画に縁あって参加しました。
On connecting
自分のページ

HELSINKI08|つなぎ、日常


メトロの様子。

メトロ。

家の前に干されるつなぎ。

Kaivopuisto公園。
最近はメトロに凝っています。トラムやバスを駆使すれば、ヘルシンキの街を回ることはとても簡単なので、なかなかメトロに乗る理由は見つけにくいのですが、ハカニエミのマーケットやアジアの食材屋に行くのに便利なのでよく乗っています。逆に東京ではメトロばかりのっていたので、たまにバスに乗ったりすると意外な発見があって面白いのですが、こちらで乗るとなんとなく都会に来た感じがして安心感さえあります。
ところで、幾つかの国でメトロに乗ったのですが、やはり外国のメトロはかっこいいです。日本のメトロは便利だけど疲れるし混んでるしであんまり好きではないのですが、例えばモスクワやナポリのようなちょっとおどろおどろしい感じも好きだし(好きとか言っている場合ではないのだろうけど笑)、パリやロンドンの都会的で洗練された感じも好きだし、はたまたヘルシンキはきれいで空いていて清々しささえあります。写真はkamppi駅のものですが、なんか造形がすごいことになっています。
夜遊びの写真も増えてきましたが、今度は人の、どアップばかりでブログに載せる類の写真ではありません(苦笑)。大きめの写真を載せるのをモットーとしてしまったため、記録写真ばかりになるのは残念ですが、まあ仕方がありません。下の写真は海沿いの公園でピクニックに行ったときのもの。Kasi&Shun。
※あるウェブサイトで連載をすることになりました。そのうちリンクするので是非ご覧下さい。(ますますこのブログの位置づけが難しくなってきたなあ)

HELSINKI07|サウナ・ズントー


ケーブルファクトリー@Ruoholahti
古い工場をリノベーションしてアートギャラリーへ。

サウナから飛び込むまでの道。
*ここ最近は木を切り刻んで作品を制作したり、家の設計の課題に取り組んだりしています。最初より学校の課題もペースが分かってきて落ち着いてきました。
*昨日は、授業の一環でsprit of natureという賞の授賞式の講演会にいってきました@ケーブルファクトリー。この賞は木造建築賞みたいなやつで、一回目の受賞者は隈研吾だったりします。今回の受賞者はピーター・ズントーで、非常に面白い講演でした。ズントーが登場する前に、プレゼンターが、「あなたたちに最初に音楽を聴いてもらう、その後で彼が登場する」と言って、突然クセナキスの音楽がかかり、ズントーは現れました。近年の作品の紹介などが主だったのですが、名前は分からないのですが教会のプロジェクトが興味深かったです。それは、内部に空洞をつくるために、まず木で空洞部分を形作り、その周りをコンクリートで四角いヴォリュームをつくって、最後に型枠の役割をしていた木を中から燃やす、というプロジェクトです。今は形は出来ていて、もうすぐ木を燃やす段階にいたるらしい。完成が楽しみです。
そういえばこの講演会の後、節操もなくサインをもらいました(笑
*先日留学生のためのサウナパーティーがありました。お酒を飲んだり、飲みながらサウナに入ったりするもので、とても楽しいものでした。そしてはじめてサウナから飛び出して海に飛び込むというエンターテイメントも体験してきました。。。男女問わずフォーと言いながら飛び込んでいく。なんなんだこれわ。。。でも写真の道は、夜になると本当に幻想的で素敵でした。

HELSINKI06|学業


森。

湖。

Vallila gardens
ヘルシンキのちょっと外れ、でもトラムで中心から20分くらい、のところにあるサマーコテージ。整然と区域が分けられており、政府の管轄で材料や部屋の広さ、デザインまで規定しているらしい。一つのコテージは30平米程度、300万〜400万円程度だそうだ。しかしこの情報は僕のリスニング能力の低さによりきわめて不正確。anyway、なんだかとても楽しそう。
最近は、学校のスタジオも本格的に始まり忙しくなってきました。でもなんとか乗り切りながら、キャンパスを歩いていると知り合いも会うし、幾人かのフィンランド人の友達(kasi君、Marika先生、Big up!!)も出来、夜遊びも覚え楽しくやっています。夜遊びの写真なども撮ったのですが、なかなかいい写真が撮れずじまいで、iphotoには建物と森ばかりになってきています。そのうち、もっと楽しい写真を撮れるようにならないとな。
また英語での最初のプレゼンテーションも終えました。語学力の乏しさだけは全く改善されず、話す機会が増えるほどどんどん下手になっている感じがするのは気のせいでしょうか、、、またプレゼンテーションはいいとして、ディスカッションがひどいです。でもこれは、英語力の乏しさがまずあるのだけど、それだけではなくて、多くの日本人もそうだと思うのですが、僕の性格としてあまり議論が得意ではないというところに起因するものな気がします。なかなかに難しい。
写真はエクスカーションで訪れた森。国立公園で、木を伐採すると罰せられる、という場所です。つまり、管理もされないで、自然の生態系そのままということで、そのすごさをひしひしと感じました。森は生きている。